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あなたに出会うまで
私は病院・福祉系専門の建築設計事務所に8年間在籍しました。
病院というまさに人生の始まりと終わりに関わる仕事に出逢えたことが、
今思えば、本当に幸せでした。
入社3年目を過ぎた頃、任されるということから
「本気で仕事をやってみよう」という思いが芽生え、病院とはなんだろう?
から始まった意味探しは、「生きる=食べる」の気付きから必然的に起こった百姓騒動へと展開します。
またその想いは、現場を知らずして設計など出来ないと考え、
心身障害児施設のボランティア参加へとつながり、
そのひとつひとつの出逢いに多くの学びを頂きました。
そしてついに念願が叶い、建築設計というハードの設計をする立場から、その根幹にある想いを形にする仕事へと転身し、現在に至ります。
本気でやってみよう!
~ すべては、ここから始まる ~
山岳部の活動でネパール遠征を試み、就職活動を全くしていなかった大学4年の春、早く決めたいと考えていた私は、大学の研究室より紹介された建築設計事務所で働くことになりました。医療・福祉関係の建築では老舗的な存在の事務所だったのですが、当初そんな事は全く知りませんでした。
そんな出逢いから始まった職場でしたが、社会人としての基本の「き」から本当に様々のことを学ばせて頂きました。3年位たった頃でしょうか。言われたことをこなす時期から、少し任される時期に入りました。今思うと、それが「ちょっと本気でやってみよう」につながった様です。職人の世界では、「守、破、離」といいますが、まさに任されることで、ひとつ自分の殻を「破」るの時期に入ったのでしょう。
病院をつくるという仕事をしていながら、病院について自分なりに捉えきれていないままで、良い仕事が出来るわけがないと考え始めました。それは、病院とはなんだろう?から始まりました。
病気があるから病院がある。では病気とは何だろう?
ところで、病院ってナニ?・・・病気の人を救うため。
じゃあ、病気ってナニ? ・・・病は気から、食生活、ストレス、心と体
ところで病気になる人間ってナニ?・・・何でこんなこと考えているんだ?
考え、悩みってナニ?・・・何か不満?自分は何が欲しいの?生き方の問題?
ところで、生きるってナニ?・・・生きる。
生きる目的ってナニ?・・・これはちょっと難しい。
では生きるための条件だとナニ?・・・生理的欲求って聞いたことあるぞ。
人間が本能的に必要とするのが、生理的欲求「食欲、性欲、睡眠欲」。
だから、これを満たすことが生きるための必要条件なのかな? でも赤ちゃんには性欲は無いだろうし、睡眠中は生きている実感ないよなぁ・・・そうか!
『 生きるということは、食べることなんだ! 』
突然、世の中の全てが分かったような錯覚に、体が震えたのでした。
食べる事で、他の生命を頂いて、自らの命を永らえているわけか。しかし神様がいるとしたら、上手く創ったものだな。みんな一人では生きて行けない。皆で食べ、食べられ、支え合い、みんなでひとつだということを忘れさせないために「食欲」を持たせたのかな?
なんだか仕事の意味そっちのけですが、毎食事の「いただきます。」の意味が分かった事が、妙に嬉しいのでした。
毎日、誰かから命のバトンを手渡され、今日一日があります。
感謝からのスタート。
「やれるだけやってやろうじゃないか!」の想いの基本は、この時の学びです。
家庭菜園からの贈り物
~ 大自然からの学び ~
いつかデッカイ仕事がしたいと入社一年目の私は、本屋さんでふと目に入った松下幸之助さんの「一日一話」(PHP出版)を手に取り、毎日通勤時にタイトル通り一話ずつ読んでいました。また経営者の発想にとても興味を持ち、本田宗一郎さん、船井幸雄さんなどの著書を読ませて頂いておりました。
そのなかで芽生えた疑問が、「なぜ敗戦後の復興を支えた経営者方が、大成していったのか?」でした。
いろいろな理由はあると思いますが、共通して私が感じたのは、幼い頃の農業体験による自然の摂理を学んでいることが、大きなバックボーンとしてあるということでした。
重要な判断を迫られるとき、その体に染みついた自然の法則から決断をすれば、大局において、まず間違えないでしょう。
百姓には、生きることの基本が学べる何かがある。なんだか分からないけれど、そんな直感がありました。
病院とはなにか?から始まった「なんちゃって哲学」でたどり着いた答え『生きる』=『食べる』ともつながり、百姓への憧れが始まりました。
早速、市役所へ走り市民農園の区画をもらい、鍬を買い付けあっと言う間に「へっぴり百姓」に変身しました。草が生い茂る畑を新品の鍬で耕し、スーパーで買って来たばかりの完熟堆肥を敷き込みます。次は、種だ、苗だと買い漁さり・・・もうそれからは、驚きの連続でした。
その菜園の中で魅せられる生命力に驚きながら、ひとつひとつの個性を感じ、各々の生まれ持った役割を貫く強さに自分を振り返りました。
何事にも時期がある。計画性が必要。開拓すること。育てること。守ること。生命力。大いなる循環。全てが日常の生活、仕事に共通する。
「やっぱり、そうだ!」
自分の直感は本物だったと確信すると同時に、家庭菜園では物足りなく感じ始めたのでした。生きるという基本の『食』を営む『農』に携わり、皆の生活のお手伝いをしよう。そして、そこから学んだ自然の法則、普遍とも言える本物の生き方を伝えられる人になろう。人づくり、町づくりに携わり、世の中に貢献する人生を送ろう。勝手に名付けたこの生き方は、まさに『スーパー百姓』なのでした。
妻とは、周囲に理解と応援の中でスタートをと約束し、一年の計は元旦に有りと早速、お互いの両親へ相談しました。
自分の実家では、突然の話に驚くものの「ゆっくりとやってみなさい。」との返事でした。ところが、いや、予想通り、妻の実家では色良い返事は、もらえませんでした。農業の歴史、現状を知っている義父は、かわいい娘や孫が苦労の道へわざわざ足を踏み入れるのを見てはおれません。
折角、建築の学校を卒業したのに、「なぜに農業か?」突如、狂った様に『農』に熱を上げ、未熟な話振りが、義父の一言を誘いました。
「やるなら、親子の縁を切ってやる。全部、自分の責任でやれ!!」と。
血気盛んな若者は、「はい、分かりました。ありがとうございます。」と、妻との約束を破ってしまうのでした。
こうして、妻の実家とは絶縁状態のまま本格的に就農活動=『スーパー百姓』への道が始まりました。経営理念が自分の目標に近い所で、研修から独立支援までしてくれる所を探し始めました。
北は福島、南は大分。住まいの沿線から実家周辺と十数ケ所を渡り歩きました。
なるほど、現実の厳しさは相当です。農業といっても、運営形態は山ほどあり、家庭菜園の経験は、屁の突っ張りにもならないことがよ~く分かりました。
この自分勝手な探し物、相手の事情もありますから、当然就農先は、なかなか見つかりません。しかし、その訪問先でお話を伺った方々の生き方、情熱に感じ入り、ますます『農』への想いは強まるのでした。
春の日差しが暖かく感じ始めた頃、就農先が決まらずイライラしがちな最中、ハタと考えました。ところで今、幸せなのだろうか?
「世の中に貢献し、皆を幸せにして、認められたい。」が出発点だったはず。
ところが、今はどうだ。これから先は?
義父があの言葉を言った時、腕の中には孫が愛しそうに抱かれていた。義母も哀しそうな顔をしていた。
妻だって顔には出さないが、現状を望んでいないことは明らかだ。子供にとっても、おじいちゃんがいるのに会えないとは・・・
全て、自分のせいなんだぁ~ うわぁ~ 許してくれ~
・・・認められたいという自我が先に来て、皆と笑顔で暮らすという本当の目的を見失っていることに気付きました。
やめた。やめた。気が付くと、前につんのめり地面に顔をこすりつける寸前の自分が目に浮かびました。
そうだ、他にもやり方はいくらでもある。考え方なのだ。ダルマの残された片目に墨を入れ、「祝、にこにこ菜園園長就任」と書き込みました。今はまだ、経営的に成り立たないから、まず家族のものを育てることにしよう。そう考えはじめると、今までの満たされなかった想いがスーっと解消され、とても心地良くなりました。
この騒動で得た経験は、本当に掛け替えのないものとなりました。何よりも教えられたのが、責任ということについて。物事に責任を持たねば、結果に意見を言う権利もないという当たり前のことや、社会に責任を持つ生き方など。
周囲に心配、迷惑をかけ、ついでに勉強させてもらい、今ではそれが若者の役割とすっかり晴れ晴れ顔です。何ともいい気なものですが、大きな愛で見守り、包んでくれた皆様に感謝せずにはいられません。
『家庭菜園からの贈り物』それは、人生の歩き方を決心する「勇気」でした。
常に自分の発言、行動に責任を持つ。誰のせいにしても始まらないということを教えてもらいました。そして、なによりその覚悟を持って、勇気を奮い一歩前に進むこと。そこからしか気付きや学びを得ることは出来ないことも学ばせて頂きました。